9人の翻訳家~囚われたベストセラーを観ました。公開は2020年の1月。
予告を観たときには「何これ、めっちゃ面白そう!」と思ったのに、今(2021年8月)になってやっと観たのは、外出自粛で映画館に行かなかったからだけではありません。
単純に、存在を忘れてました!
予告で惹かれはしたものの、その後、この映画の話は聞きませんでした。
もしかしたらテレビ番組で話題になっていたかもしれないのですが、テレビを観る回数が減ったために気づいていません。
今回観たのは、映画を観たい気分になったときにたまたま視界にこの作品が入ったらです。
「映画だったら何でもいいかな
こんな気分のときに「9人の翻訳家」を見つけて、前に興味を持ったことを思い出しました。
期待はしていませんでした。
この映画には日本語吹き替えがありません。
(昔の映画ならともかく、
最近の映画で吹き替えが入っていないとなると……)
(やっぱり……)
(そんなに人気ない=面白くないのかな……)
こんな具合で、期待はしていなかったんです。
観始めてしばらくも「まあ、こんなもんですよねー」なんて思っていたんですよ。
それなのに、観た後に、気持ちが、感情が、心が! ぐっちゃぐちゃ!!!
え、なんで私、こんな気持ちになってるの?
どうしてこんなに心が乱されてるの?
はっきり言って、この映画は万人受けしなそうだし、面白かったかどうかって訊かれたら答えに窮するし、なんだったら一緒に観た夫は首を捻りながら「よくわからん」と言っていたし。
それなのにこれほどまでにぐちゃぐちゃになるなんて。
え、なぜだい、私。
訳がわからぬ。
自分の気持ちを整理するために、このような形で文章にまとめることにしました。
「9人の翻訳家」を観て、「ここってどういう意味だったんだろう?」「これってこうなのかな?」といった、詳しい考察や解説を求めている人にはこの記事は向きません。
どうか、識者の書いた記事を探してください。
下記でお話ししているのは、この映画を観てどうしようもなく感情が暴れ出してしまった人間の叫びです。
視聴前に得ていた情報
予告やCMで観て、事前に知っていた映画の内容は下記の通りです。
フランスの人里離れた村にある洋館。全世界待望のミステリー小説「デダリュス」完結編の各国同時発売に向けて、9人の翻訳家が集められた。翻訳家たちは外部との接触を一切禁止され、毎日20ページずつ渡される原稿を翻訳していく。しかしある夜、出版社社長のもとに「冒頭10ページをネットに公開した。24時間以内に500万ユーロを支払わなければ、次の100ページも公開する。要求を拒めば全ページを流出させる」という脅迫メールが届く。
9人の翻訳家 囚われたベストセラー|映画.com
予告動画が観ているだけで興味を掻き立てられる内容になっています。
まだ観ていない方はとりあえず観てみてください。
さて、この映画では、外部との接触を徹底的に排したところで原稿の流出事件が起きてしまいます。
それが出版社による自作自演でないなら、これだけでこの時点である程度犯人は絞られます。
初めて予告を観たときに感じた「面白そう」という気持ちも、「この推測は合ってるのかな?」という、答え合わせをするときの感情に近かったです。
映画を観始めたときも、
「考えられるのはこのパターンかこのパターン。もしくはあのパターンね。でもそれ以外のトリックや結末があれば嬉しいわねー」
と、かなり余裕ぶっこいてました。
いま思えば、本当に余裕だったなぁ、あのころは…と遠くを見詰めたくなってしまいます。
この映画には「原稿を流出されたのは誰か」というミステリがありました。
こちらに主眼を置いて展開されるのですが、その根幹には「創作」や「文学」への想いがあるように感じました。
アングストロームにとっての「創作」
世界的に売れている傑作である「デュダリス」を9ヵ国の言語に同時翻訳するため、出版社のアングストロームは9人の翻訳家を集めました。
情報を流出させることを防ぐため、ネットを含む外の世界と隔離する施設を用意しています。
設備や食事などは十分に揃ってはいるものの、監視の中で暮らし、仕事をするのは変わりません。
アングストロームは、小説を商品としか捉えていない男でした。
原稿を流出させない目的なのはわかるし、それは大事なことだってわかってるけど、翻訳家たちも人間だってわかってる…?
序盤からこんな気持ちにさせるような言動や行動がちらちらと出てきます。
アングストロームは、それが売上を作るか否か、という尺度でしか考えません。
彼自身、自分に創作の才能がないことは承知しています。
ですが、目の前にある作品の「売れる」「売れない」の見極めをする能力に長けていました。
物語をつくる側ではなく、売る(世の中に広める)側の力を持った人です。
そういった力を持つ人は、創作の世界には必要不可欠です。
いくら素晴らしい物語を生み出すことができても、それを広める力がなければ誰に読まれることもなく埋もれてしまいます。
アングストロームは、そういった作品の中でも「傑作」と呼ばれるものを見つけ、広めるだけの力がありました。
しかし、文学や創作への愛がありません。
彼にとって重要なのは、それが売れるかどうかだけです。
はっきり言って、私はこの人物に怒りと嫌悪感を抱いています。
誤解のないように申し上げますと、仕事は仕事として割り切って作品を見ることには嫌悪がありません。
好きだったはずのものでも、いざ仕事にしてみたら「商品」にしか見えなくなることもありますよ。
けれど、アングストロームの言っていることややっていることは、そういう次元での話ではないのです。
- 創作への愛がない。
- 創作している人への敬意がない。
劇中で、アングストロームがデンマークの翻訳家にしたことに、頭に血が上るほどの怒りを覚えました。
そんなことする!?
そんなこと言う!!!?
って言いたくなるほどのものでした。
ここで、彼の中に文学や創作への愛がないことがはっきりわかります。
場面として必要なものだとわかっていますし、彼がそれだけの人物であるからこそこの映画がいい色を出しているのもわかります。
しかし、それはそれとして、私自身が下手なりにも創作をする人間だからこそ感じる憤りがありました。
「犯人」なんて、どうでもいいと思っていた
はじめにもお話ししていますように、この手のミステリー映画はあらすじだけでだいたい犯人が絞れます。
実際に自分がその現場にいたら訳がわからなくて混乱するでしょうが、視聴者として俯瞰してみると想像はつくものです。
映画を観始める前と、観始めてからもずっと
「犯人はこの人かな?」
「それともこうかな?」
「こういうことをしたのだろうなぁ」
と考えていました。
結果として、この推測は概ね当たっていました。
「まあねぇ、そうよねぇ。ふんふん」
なんて言って、かなり余裕をもって「答え」を受け止めています。
でもね、この映画の真髄はそこではないんです。
「真実」は、私がずーっと考えていた予想と大体合っていて、それでいて全然違うものでした。
もう…いや…そんなことある…?
観終わってからしばらく、ひたすらに泣きました。
裏に隠されていた、ある強い想いに、私の感情がぐちゃぐちゃにされたのです。
胸の内には
この映画の登場人物たちの中で、たった一人だけ、この事件の中で取り返しのつかない事態になる可能性があることを想定していた人がいました。
それ以外の人たちは、その人物の執念に巻きこまれたと言ってもいいです。
いえ、彼らもまた自分たちの信念に基づいて行動していたと考えられます。
酷いことになるかもしれないとある程度は予想していたかもしれません。
ですが、まさかここまでのことになるとは思っていなかったはずです。
通常であれば、起こるはずのないことだったのですから。
それでも、それが起こるかもしれないと知っていた人がいます。
「怒り」だとか「執念」だとか、そういった言葉に置き換えられるだろう想いが、その人の胸にあったように感じました。
怒り・憎悪・執念…でもそれだけではない
なぜあそこまでしたのか。
わかりやすい感情で言うと、「怒り」だとか「憎悪」だとかいった言葉が近そうです。
ですが私は、それだけではなかったように考えています。
口下手、というのとは違いそうですし、コミュニケーションが下手というのも違いそう。
感情表現が下手…も違いそうですけど、もしかしたら苦手ではあったかもしれない。
きっとそれだけではなくて、心の底には「後悔」もあったのではないかな、と思ってしまいました。
- ああしていればよかったんじゃないか。
- もっとこうしていたら。
そんな後悔もあって、引き下がることができずに進み続けてしまったのかもしれません。
ここに「執念」に似たものを感じてしまいました。
これは私の憶測でしかありません。
このようなことを考えてしまって、涙は溢れてしまうし、この映画をどういった気持ちで受け止めたらいいのかもわからなくなってしまいました。
2回目の視聴
公式サイトでは「もう一度ふりだしに戻りたくなるリピート型傑作ミステリー」というコピーが書かれていました。
1回目の視聴が終わった後に、またすぐに観たくなるかと言われるとそうでもないような気がしています。
連続で観るには重い内容でした。
けど、少し間を置いて、心を落ち着けてから観たくなります。
私は、2回目の視聴で、1回目では考える必要のなかったことに気づいてしまってまた泣いてしまいました。
泣き過ぎだろ、私。
もうね、「あの人はこのときこんなことを考えていたのかなぁ」とか「この人、このときこういう気持ちだったのかなぁ」とかを考えてしまうと、止まらないんですよ…気持ちの揺れが。
ずーっと言われていたあの要求も、こういう想いで訴え続けていたのかなぁ…とか。
登場人物の心情に気持ちを寄せ過ぎてしまっているのかもしれませんが、こんなことばかりを考えて心がぐちゃぐちゃです。
ああもう、本当に何て、ああもう。
小さいけども好きなトコ
ストーリーには大きく関係しないだろうところなんですけど、気に入っているポイントがあったのでここでお話しします。
吹き替え版なし
自分で進んで新しい映画を開拓することが少ないからかもしれませんが、吹き替え版のない映画は珍しく感じました。
漠然と、「そんなに面白くないのかな」「あまり人気が出なかったのかな」と考えた理由もこれです。
ですが、観てみたら吹き替えがなかった理由もわかったような気がしました。
「9人の翻訳家」というタイトルからもわかるように、この映画では多くの言語が入り乱れています。
基本的にはフランス語を使って会話しているのですが、度々、翻訳家たちの母国語が使われます。
たくさんの国の人が集まっているからこそだなぁ。
と、原語で展開されていく物語が楽しく思えてきました。
また劇中には、吹き替え版だったら成立しなかっただろう場面が存在しています。
これがまた、すっごくいいところで使われているんですよ。
そんなところも好きです。
一人でできる仕事をするために選んだ「翻訳家」
隔離施設に案内され、9人の翻訳家たちは大量の資料が保管されたところで作業を始めるように指示されます。
このとき、監視員が見ている中で、9人の翻訳家たちが揃ったその場所で作業をすることになってしまいました。
いざ作業開始、というときに、一人の翻訳家が渡された原稿と荷物を持って席を立とうとします。
「ここが気に入らない?」と問いかけるアングストロームに、
「一人で仕事したくてこの職業を選んだ」と答えていました。
そうだよなぁ。
普段は一人でする仕事だもんなぁ。
…と頷きながらこの場面を見ています。
「人との関わりはあまり得意ではない(好きではない)」という性質が、ここに集められた翻訳家たちの中に潜んでいるように感じて、ニコニコしてしまいました。
人との関わりが好きかどうかは、本当、職業がどうというか人によると思いますけど、この映画においてはそういった部分もあったのかなぁ、なんて。
坊主頭のテルマ
これは本当に初見で感じたものの話なんですが、ポルトガルの翻訳家であるテルマの容姿がすっっっごく好きです。
細身の女性です。
髪は短くて、もはや丸坊主でした。
まとっている服もロックでパンクな感じ。
いえ、語彙が少なくて申し訳ないんですけど、個人的にすごく好きな、かっこいい女性の見た目でした。
女優さんの頭の形が綺麗だからか、髪型がよく似合ってます。
そんな強い外見の彼女なのに、目の奥に弱さが揺らいでいるように感じてしまいました。
劇中のキャラクターとしても好きなんですがね、第一印象から大好きなの。
怒りと嫌悪を抱かせてくれた人
アングストロームに腹立たしい想いを抱いています。
これは何度も観ても同じ気持ちです。
ですが、こんな負の想いを抱かせてくれた、「アングストローム」というキャラクターのことは好きです。
実際に身近にいたらすごく嫌ですが、物語としてはすごくいい味を出していました。
これを演じた俳優であるランベール・ウィルソンの迫力からもこのように感じられたのかもしれません。
あとで調べたら、たいへんなベテラン俳優さんでおられました…。
マトリックス出ておられた…。観直さなきゃ…。
好き嫌い分かれそうな映画
好きか嫌いかと訊かれたら、好きな映画です。
前項でもお話ししたように、細かいところにも好きだと思える点がたくさんあります。
でも、人には勧めづらいです。
刺さる人には刺さる(現に私には刺さった)のですが、そうでない人には面白くもない映画だろうことが察せられます。
この映画は好きではないと言われたら「うん、わかるよ、その気持ちも」って思います。
この映画、好き! と言われても「うん、わかるよ! その気持ち」って思います。
どっちの気持ちも理解できます。
おわりに
もっともっと好きなところや「ここ! が! いいの!!!」と声を大にして叫びたいところもあります。
あまり言うとネタバレが過剰になってしまいそうなので控えます。
重大なことは言いたくないのでぼかしてのお話となりました。
恐らく、この記事だけでは何を言っているのかわからないでしょう。
気になりましたら、本編を観てください。
「絶対観て! 後悔はさせないから!」
なんて言えません。
この映画が、どのように心に受け止められるかわからないからです。
しかし、私から言えるのは、この映画を観たことを、私は後悔していない、ということだけです。
一生心に残り続ける映画だろうと感じています。
なんと言いますか…………うん。
難しい映画でした。
内容ではなくて、受け止め方と、心の置き方が難しい映画でした。
好きです。
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