漫画「神様のバレー」がめちゃくちゃ好きって話

ねー!
読みました!?
「神様のバレー(作画:西崎泰正 / 原作:渡辺ツルヤ)」の37巻!
めちゃくちゃ良いとこですよ!
いや、最初からすごく良いんですけど。ずっと良い。今までも今もずっと最高。その積み重ねの良さの最高が今きてます。

この最高が次巻以降でまた更新されるんだろうなーっていう確信を持てることがさらに最高
「神様のバレー」のあらすじ
アナリスト…それは、相手チームを分析し、ベンチ外から監督に作戦を指示する“チームの黒幕”。阿月総一は実業団バレーボールチーム<日村化成ガンマンズ>のアナリスト。とあることを条件に、全日本男子バレーボール監督の座を約束される。それは、万年地区予選1回戦敗退の私立中学校男子バレー部に全国制覇させることだった!
「神様のバレー」のここが好き
- 性格の悪い大人による、性格の悪い試合運び
- 「ID(嫌がらせとだまし)バレーで勝つ」だけじゃない
- コーチや監督にも焦点が当てられている
- 部活動に関わる大人の現実がある
- 気づいたときには出てくる人たち全員が愛しくなっている
性格の悪い大人による、性格の悪い試合運び
この漫画の主人公? という表現で合っているのかな。
この漫画の中心にいる阿月総一は、性格が悪いです。
いい性格をしているというか何というか、少なくとも純粋な善人じゃない。
頭は良いし、バレーボールに関する確かな知識と経験もある。
この人が出す指示も的確です。
でも言動は尊大だし、態度も悪いので、敵を作りやすいタイプ。

この人と話していると、大きな物言いで図星を突かれたときに感じる苛立ちみたいなものを覚えそう
そんな人がひょんなことから、中学生の万年地区予選1回戦敗退の弱小バレーボール部のコーチを務めることに。
その中学校、私立幸大学園中学校のバレーボール部は、「気合いと根性」という指導理念の下で練習を重ねていました。
根性論や精神論だけでバレーボールをやってきた選手たちに阿月が一石を投じ、幸大学園のバレーボール部を変えていきます。

阿月総一はいつも何かを仕掛けてくるんですよ
この仕掛けはいつも意地は悪いし、本人の底意地も悪い。

でもそれを見るのが楽しいんですよねえ
「ID(嫌がらせとだまし)バレーで勝つ」だけじゃない
本来のIDバレーは、感情を排除してデータで行うバレーのことだそう。
阿月総一がやるのは「嫌がらせ ( I ) と、だまし ( D )」によるIDバレー。
あらゆる情報を集め、分析し、阿月がやるのは相手にとってすごく嫌なこと──嫌がらせです。
この漫画のバレーは搦め手で勝つ、が基本みたいなところにあるのですが、それだけじゃないんです。
奇抜な手も使ってくるので、一見するとストイックな印象のあるスポーツというジャンルから離れたものであるようでもあります。
でもちゃんと「スポーツ」の軸があるんです。
裏で手を引いているのは狡猾な男(阿月総一)なのに、目の前で広がっているのは中学生たちの熱く輝かしい青春のバレーボールなんです。

両立しなそうな二つなのに、何故か両立しているから不思議
コーチや監督にも焦点が当てられている
この漫画に触れた後に他のスポーツ漫画を読んでから気づいたんですけど、「神様のバレー」はコーチや監督といった、大人にも焦点が当てて描かれているんですよね。
それが珍しいなあと。

私の読んだことのあるスポーツ系漫画の種類が少ないので、もしかしたら珍しくもないのかもですが
「神様のバレー」は、主人公達の学校の監督とコーチはもちろん、他校の監督やコーチも登場します。
どの監督たちも、「この人はこういう狙いで子どもたちを指導して、こういうことを考えて子どもたちと関わっているんだな」というのが分かる描かれ方をしていました。
監督たちが添え物としてではなく、一人の大人としてその場にいるのが伝わってきます。
この大人たちもまた、完璧じゃない、悩みも欠点もある人間として描かれているところも好きです。
部活動に関わる大人の現実がある
私が中学生だったとき、「大人」というものは完璧な存在でした。
「大人は完璧なので、間違いはあるはずもない」と漠然と考えていた頃です。
大人になった今だから分かりますが、大人も完璧ではありませんし、悩みもしますし、間違うこともあります。
中学生の頃はそういうことが見えていませんでした。
「神様のバレー」では監督やコーチたちの考えや悩みも見えます。
この漫画では、大人たちも少しずつ間違えて失敗し、省みて、変わっていく姿も描かれています。
監督やコーチといった大人たちもまた、一人の人間なんだなあと思えるところも、好きな点の一つです。
気づいたときには出てくる人たち全員が愛しくなっている
この漫画、気づいたときには好きになっているキャラクターがいっぱいいます。困る。
主人公たちのいる幸大学園の子たちは当然みんな好きなんですけど、対戦相手の子たちも好きになってます。
前にあんなに嫌なことしてきた子なのに、気づいたら愛しくなっている。
果てには相手チームにも入れ込み過ぎて、相手チームにも「負けて欲しくない」という気持ちになってくる。困る。

メインストーリーの目的としては「幸大学園の全国制覇」ということは分かっていますし、幸大学園には勝ってほしいんですけど!

でも他校の子たちにも勝ってほしいー!
「神様のバレー」の興味深いポイント
「神様のバレー」の好きなポイントは一通りお話ししました。
ストーリーの本筋とは離れているのですが、個人的に興味深いなと思うところがあったので、それについてもちょっとお話しします。
- 周りを変えていくタイプの主人公
- バレーボールのルールが分からない人間が読んでいるのに「今、すごく意外で重要な手を打ったんだな」が分かるようになっている
周りを変えていくタイプの主人公
物語の主人公は大別すると、自分が成長するタイプと、周りを成長させるタイプの、2種類いるかと思われます。
よく見かけるのは前者の主人公。
このタイプは主人公を中心に物語が展開していきます。
物語の中では、時には挫折しながらも成長していく主人公を見ることができます。
「神様のバレー」は後者のタイプ。
主人公は阿月総一だと思うんですが、彼自身の成長はほぼありません。
物語スタート時点で、キャラクターとして完成されているためです。
主に成長するのは彼の周りです。
幸大学園の選手や監督たちが、阿月総一と関わっていく中で成長していきます。
阿月が担っているのは、彼らを成長させる役目です。

阿月総一が軸にいるのは確かなんですが、彼自身の成長がほとんどないため、「主人公」と評するときはいつもちょっと不思議な気持ちになります
物語を描くに当たって、こういったタイプの主人公がいることは承知していたのですが、実際に見る機会はあまりありませんでした。

周りを変えていくタイプの主人公はこういう作り方・描き方をするのね、と学びになりました
バレーボールを知らなくても「今、すごく意外で重要な手を打ったんだな」が分かる
ここまで「神様のバレー」についていろいろと語りましたが、私はバレーボールのルールをほぼ知りません。

この漫画を読むまで、「セッター」という言葉も知りませんでした
最新刊が出る度に読んでいるのに、未だによく分かってないです。
雰囲気だけで読んでいます。

いや、分からないままで読んでる私はどうかと思いますけど

分からないままでも読めるようになっていることがすごいんです!
全然知識がないのに、阿月総一や選手たちが「予想外の手を打った」などの様子は分かるんです。
よく考えたら予想外も何も、バレーボールでどういう手を打つのが定石なのかも知らないのに。
漫画の技術については知らないことが多いのですが、たぶんコマ割りや表情などから読み取れるように工夫されているんじゃないかなあ、と。
もちろん、バレーボール独自の言葉は作中で説明もされています。
それ以上に、登場人物たちの顔や流れを見たことによって伝わってくるものが大きいな、と感じました。

上手くお話しできないんですが、雰囲気で把握できると言いますか
おわりに
ここまでで何度もお話ししましたように、阿月総一は善人ではありません。
でも悪人でもないです。
言動は悪いし、態度は大きいし、性格も悪いですけど、人の道理に反したことはしません。

いや、でもこれを中学生の子にやって大丈夫なのか、みたいなのはなくはなかったですけどね
真っ直ぐそのまま子どもたちを想っているということはないです。
彼なりに子どもたち一人一人を見ていますし、それぞれの実力も認めています。
阿月自身の目的があってこそだとは思いますが、子どもたちに「バレーボールの勝ち方」を教えてくれているところは、未来ある子どもを導く良い大人の姿に見えます。
37巻、良い
さて、ここでこの記事の冒頭のお話に戻ります。
37巻、今、良いところにきているんです!
阿月総一は周りを成長させるタイプの、完成されている主人公だとお話ししました。
でも彼もまた、もがいていることがあるんです。
阿月総一、頭の回転が早いんです。
作中でも言われているように、企業経営などで存分に活かされる力を持っていると思います。
阿月総一がバレーボールに囚われてしまったきっかけとの対決が、ついに始まるんです!
38巻で! 始まるんです!
37巻はその手前です。

とうとうこの日がきたかー!
今、めちゃくちゃ楽しいです。
1巻の4話、5話辺りまで読んで「おもしろいなー」と思ったら大丈夫。その感じなら勢いで読み進めていけるはず。
私はここでお待ちしています。