映画「12人の怒れる男」を観ました!
この前に「時計じかけのオレンジ」を観まして。
ちょっと、こう、心に受けたものが大きかったので、気持ちを盛り上げるべく、好きな映画を改めて観た、という経緯です。
軽い気持ちで観たのですが、観始めたらものすごく気分が上がりました!
やっぱりすっごい好き!
好きな映画は心に効く……。
さて、今回は「12人の怒れる男」についてお話しします。
「12人の怒れる男たち」のざっくりした内容
この映画は、アメリカの裁判所が舞台となっています。
少年が父親を殺害した事件について、12人の陪審員で話し合います。
陪審員たちは、12人が満場一致で有罪または無罪であると結論を出さねばなりません。
一人でも意見が異なれば、意見が一致するまで話し合わなければならないのです。
11人の陪審員たちはすでに少年の有罪を確信しています。
ですが、たった一人だけが「無罪」に票を投じました。
11人の陪審員たちは、この一人を説得する形で、少年が有罪だと判断している理由を述べていきます。
「12人の怒れる男たち」の魅力
この映画の好きなところはたくさんあります。
特にお話ししたいのはこの四つ。
- 状況の説明が簡潔
- 舞台は一室のみ
- 自分では気づけない思い込みを打ち壊していく
- 登場人物それぞれに意味がある
状況の説明が簡潔
この映画では物語の導入部分で、
- ここがどこで
- 集まっている(画面に映っている)のがどんな人たちで
- この人たちは何をしなければならないのか
といったことがわかるようになっています。
状況の説明が簡潔に行われているので、これから起きるだろう展開に集中して観ることができます。
また、登場人物たちがやろうとしていることがわかりやすいです。
余計なことを考えずに物語を楽しめます。
舞台は一室のみ
この映画は、話し合いをしていくことで進められます。
初めにもお話ししましたように、12人の意見を一致させなければなりません。
意見が揃わない内は家に帰ることもできないのです。
彼らは舞台となるこの部屋に閉じ込められているようなものです。
だからこそ、彼らもこの話し合いをさっさと終わらせて早く帰りたいんですよね
また、画面の絵面がほとんど変わらないのに引き込まれる魅力もありました。
舞台が移動しないからこそ、彼らの議論により集中できるのかもしれません。
自分では気づけない思い込みを打ち壊していく
思い込みというものは、自分では気づけません。
自分から見たら真実以外の何ものでもないのですから。
「12人の怒れる男たち」では、強く思い込んでいる人たちが多数登場します。
彼らは指摘したり指摘されたりと話し合いを重ねるごとに、その思い込みに気づいていきます。
「それ」は一辺の疑う余地もない真実なのではなく、自分がそう思っていただけのものだと理解していくのです。
「自分がそう思っていただけ」
これに気づいたときの表情が本当に好き!
- 人の思い込みってこうだな
- こうやって人は気づくのだな
この映画を観る度に考えさせられます。
登場人物それぞれに意味がある
陪審員は12人登場しますが、彼らは名前で呼び合いません。
個人の特定を避けるため、名前を非公開で陪審員を務めています。
名前はないのですが、代わりに番号で呼び合います。
また、劇中ではそれぞれが役割を担っていることがわかります。
台詞が少なかったり、活躍する場面が少なかったりという人たちもいるのですが、そういったサブの人たちにも、意味のある役割が振られていました。
- この人だからこそ、この矛盾に気づけたのか
- この人だからこそ、この指摘に説得力があるのか
といったことが見えてきます。
登場人物を無駄遣いしないってこういうことかな、と学べるものがあります
好きなところ
ここまでで挙げてきたのも好きな点ではあります。
さらに二つ、この映画の中で好きなところをお話しします。
- 黙ることで伝わってくるもの
- 真実はわからない
黙ることで伝わってくるもの
この映画は、登場人物たちの討論によって話が進行していきます。
基本的に、劇中では常に誰かが喋っていました。
誰かが話したら他の誰かがそれに反論したり同意したり、と続いていく形です。
ですが、登場人物のほとんどが黙る場面があります。
今までは誰かが喋る度に反論していたのに、その場面では一人だけがずっと喋り通しているのです。
その人の主張は、観ているこちらも奇妙だと思えるものなのに、誰も声を上げて反論しません。
でも、言葉なんてもはや要らない場面なのです。
彼らが沈黙を持って伝えてきているメッセージがわかります。
喋るところでは喋って、喋らないところでは黙る。
この切り替えによる伝え方が好きです。
真実はわからない
陪審員たちによる討論のお話なので、劇中では有罪か無罪かという話をずーっと続けています。
でも、本当に彼が父親を殺したのか、あるいは別の要因があって死んでしまったのか、といった、真相と呼ばれるものは語られません。
あくまで、「先程の公判だけで有罪(死刑)と決めてしまうのはおかしい」という話をしています。
彼らの話を聞いていくとたしかに「これはおかしいな?」と思える部分が出てきます。
しかし、「じゃあ真犯人は誰なのか」「あのときに一体何が起きたのか」といったことは語られません。
劇中で行われている討論は「いまここですぐに決断を出さずに、もう一度考える機会を作ろう」といったことです。
「先程の裁判の奇妙な点」にのみ焦点を当てて進められていく物語でした。
小説のプロットの作り方で言う、「目的がはっきりしているか?」は、こういうことなのかな、とか考えながら観てました
実際、人の記憶はあやふやなものです。
後で聞いただけなのに、自分の目で見たような気になるなんてこともあります。
だからこそ、劇中では「真相はこれ」みたいなことには焦点が当てられていないのかなーなんて。いや、その辺りどうなのか、それこそ真相は不明ですが。
おわりに
- ストーリー(状況・目的)が明確
- 舞台が一室のみ
- 登場人物は増えない(ほぼ12人のみ)
- 「思い込み」に気づかせるのはこういう方法があるのか
- 登場人物それぞれに役割が振られている(全登場人物に意味がある)
討論に引き込まれていくのももちろんですが、ストーリーが簡潔でわかりやすいです。
また、登場人物の役割や台詞の意味も明確なので、ストーリーの描き方としても学べるものがたくさんあります。
私にとって、数年おきに見直して、身を引き締めたり新たな学びを得たりする映画の紹介でした。
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