がむしゃらに小説を書いていると、ふとした瞬間に脳が冷静になることがあります。
それまで情熱をもって勢いで書き殴っていたのに、急に手が止まるのです。
あれ、私、どうして小説を書いているんだろう
そんな、根本的な疑問が頭をもたげてしまいます。
小説は一朝一夕で書き上げられるものではありません。
短編であればまだしも、長編にとりかかっていると完成までに何日もかかってしまいます。
どうして私はこんなに苦しい思いをして
小説を書き続けてるのよ?
すぐに振り切って、執筆に戻ることができたらいいのですが、この疑問に縛りつけられてしまうことも。
丁度いま、私の頭にもこの疑問が浮かんでいるところです。
私が小説を書く意味がわからない
自分が何を書きたいのかも
わからなくなってきた!!
ちょっと問題が深刻化してきました。
いつもは適当にやり過ごしてしまうのですが、今回は徹底的にこの疑問に向き合ってみます。
小説を書くのは仕事ではない
私は小説家ではありません。
小説を書いていはいますので、自称・小説家を名乗ることはできます。
ですが、小説でお金をもらっているわけではありません。
本を出版したことはありませんし、もちろん小説を食べているわけでもありません。
締め切りなんていうものは自分で決めない限り存在すらしません。
私が小説を書かなかったとしても困る人もいません。
今の私は小説投稿サイトに連載小説の投稿もしていない状態なので、この世に私の小説を知っている人は誰一人存在していません。
趣味で書いているだけの人間です。
それなのに、どうして私は小説を書いているのでしょうか。
誰にも命令されてもいないし、誰も求めてもいないのに。
不思議ですね。
強制されてはいないし、書くのは楽しいから、
好きで書いているっていうのは間違いないんですけどね
私は何故、小説を書いているのでしょう?
物語はこの世に溢れている
小説とは、物語を文章で表現したものです。
私は、物語を読むのが、幼い頃から大好きでした。
「物語を読むのが好きだから、自分でも小説を書く」
これが答えであるように思えます。
でも
ちょっと待って?
この世にはたくさんの物語が既に存在しています。
ハードカバー本、新書本、文庫本……と、本屋では多くの小説たちが私たちに手を取ってもらえるときを今か今かと待っています。
図書館にも無数の本たちが所蔵されていますよね。
本の形を取っていませんが、ネットの大海でも数えきれないほどの物語が泳いでいます。
私が自分で物語を書く必要なんてないのでは?
自ら長い時間と労力をかけて三文小説を生み出すまでもなく、世には素晴らしい物語が溢れているのです。
さらに言うと、物語を創るのであれば小説という媒体に限らなくてもいいはずです。
物語を創るのは小説でなくたっていい
架空物語は何も、絶対に小説で表現しなくてはならない、なんてことはありません。
漫画でも物語は表現できます。
デジタル技術が進んだ今では、やろうと思えば個人でもアニメを作れます。
他にも、映画や舞台といった表現もこの世には存在しています。
漫画は好きです。
大好きです。
めっちゃ読みます。
映画も舞台も好きです。
アニメだってよく観ます。
でも、それらを自分で創りたいと思ったことはありません。
いえ、漫画に関しては子どもの頃に自分で描こうとしたこともありましたが、「絵が下手」という理由で描くのを止めました。
今思えば、そりゃあ絵は下手なはずです。
私が漫画にチャレンジしたのは小学生の頃のことでしたから。
そこで諦めずに画力を上げるための練習を重ねていたら、もしかしたら多少は見せられるレベルのものになっていたかもしれません。
しかし、私は絵の練習はせず、代わりに文章を書く練習を重ねました。
文章──小説の練習です。
下手だとわかっているのに、どうしてか書かずにはいられませんでした。
漫画じゃなくて小説じゃなきゃいけない理由って何?
小説を書くことは誰にも強要されていません。
物語は既にこの世にごまんと存在しているし、小説以外にも物語を表現するものはたくさんあります。
それなのに、何故、私は小説を書いているのでしょうか。
何故、私が書くのは小説でなければいけなかったのでしょうか。
いよいよ理由が見つかりません。
このまま迷宮入りとなってしまいそうです。
そもそも、私はどうして小説を書こうと思ったのでしょう。
物事には必ず始まりが存在しています。
つまり、私が小説を書き始めたのにも、きっかけが存在しているはずです。
ここまできたら、始まりの記憶も掘り返してみます。
そもそも「小説を書きたい」と思ったきっかけは何だったろう
小説を書いたきっかけは、人によって違うでしょう。
書き始めた時期も違うはず。
私の場合、小説を書き始めたのは中学生のときです。
友人に勧められた「ブギーポップは笑わない(上遠野浩平)」を読んだ後、気づいたときには漫画家ではなく小説家を志していました。
このときから訳のわからない熱に侵されています。
小説を書くといってもこの頃は、物語とも呼べない、ただの欠片のようなものを錬成しまくっていただけではありますが。
今思えば、上遠野浩平氏の影響を
大いに受けまくったものを量産していたような
「憧れの作家から影響を受けて書き始めた」
これがきっかけです。
では、憧れの作家から影響を受けたからといって、何故自分で書き始めたのでしょうか。
その作家の物語が好きなら、自分で書かずに、その人の新作が出版されるのを待てばいいだけです。
先に「物語はこの世に溢れている」でもお話ししましたが、自分で下手くそな物語を生まなくても、この世には素晴らしいストーリーがたくさん存在しています。
何故、出版を待たずして自分で書き始めたのか。
いえ、待たずではなく待てず、といった方がいいかもしれません。
当時の記憶を掘り起こしてみると、私は出版される新作を待てずに書き始めたようです。
シリーズの本を読み漁り、同著者の本を全て読んで、新しい本がいつ出るともわからない状態となったときに、小説を書き始めていました。
「これを読みたい」
私はこの話をもっと読みたいんじゃぁあああ!!
どれほど憤っても、続きはこの世に存在していません。
この怒りが、私にペンを取らせたようです。
続きを読みたいのに読めない苛立ち。
- 「こんな話を読みたい」
- 「だけどそんな話は今、まだこの世には存在していない」
- 「だから自分で書く」
供給されないなら自給自足してやらぁ!
こんな結論に達し、小説を書き始めました。
これが私の「小説を書く理由」のようです。
我ながらなんと短絡的で感情的なのでしょう。
さて、ここまでずっと考え続けてきた、「何故、私は小説を書くのか」の理由は明らかとなりました。
では次の問題に移ります。
「私は小説で何を書きたいのか」です。
小説を書く理由と小説で書きたいものは似ている
そもそもの問題である「何故、私は小説を書くのか」がはっきりすると、「私は小説で何を書きたいのか」はすんなり出てきます。
私は自分が読みたいから小説を書き始めました。
つまり、私は自分の読みたい小説を書けばいいわけです。
- こんな話を読みたい
- こんな話が大好き
を突き詰めて考えていけば、自然と書くべき物語も見えてきます。
おわりに
「小説を書くときはテーマを決めろ」なんて、小難しいことをよく言われますが、テーマってのは要するに「小説で何を書きたいか」ってことです。
テーマだとか、書きたいことだとか、よくわからなかったら取り敢えず置いておいて、まずは自分の始まりの記憶を辿ってみましょう。
自分が小説を書き始めた理由が見つかると、自分が小説で書きたいものも、案外すんなりと見つかります。
その、自分が小説で書きたいものこそが、小説のテーマになるわけです。
「自分が小説で書きたいもの」を念頭に、手元の小説の内容を考えていきます。
そうすると、一本の筋が通ったものを書けるようになってきます。
少なくとも、小説を書きながら「私は何をしたいんだ?」と悩むような現象は起きにくくなります。
また、ここでお話した「小説で書きたもの」はあくまで「私は」の話です。
ずっとお話ししてきた「私」というのは、
話し手である私、ひらどーのこと指しています
同じ話を繰り返しますが、人によって小説を書き始めたきっかけは違います。
あなたは何故、小説を書き始めたのですか?
いつ、どんなきっかけで、読者から作者に変わったのですか?
世に溢れる多くの物語を読むだけではなく、自身の手で書き始めたのは何故ですか?
次はあなた自身の始まりを考えてみる番です。
悩んで悩んでどうしようもなくなってしまったら、ひとまず深呼吸して、落ち着いて考えてみてください。
読み直しても減らない誤字脱字は、スキルを持った人にチェックしてもらいましょう。
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