小説を書き始めたきっかけを振り返ってみる|始まりは上遠野浩平作品との出会い

自分に大きく影響を与えたものとして、このブログでも上遠野浩平作品のことを度々をお話ししていました。

でも、しっかりとお話ししたことはなかったな、と思いまして
今回は、自分と上遠野浩平作品の出会いと、どうして自分が小説を書くようになったのかを振り返ってみます。
上遠野浩平作品とは
私が当ブログで言う上遠野浩平作品とは、小説家の上遠野浩平先生が書いた作品全般を指しています。
上遠野浩平先生は、「ブギーポップは笑わない」で第4回電撃ゲーム小説大賞を受賞し、小説家デビューしました。
こちらは「ブギーポップシリーズ」として電撃文庫からシリーズが刊行されています。
長編ものとは少し違ったシリーズもの
私が「ブギーポップは笑わない」を初めて読んだのは中学生のときのことです。
当時の友人が薦めてくれました。
その頃の私が読んでいた長編の物語は「ハリー・ポッター」や「ダレン・シャン」です。
ライトノベルの長編シリーズでも、「ハリー・ポッター」などの海外の長編ものでも、基本的には、1巻から続刊へと、時間は一方向に続いていきます。
ですが、「ブギーポップシリーズ」は、少し毛色が違います。
各巻で、時間は前後するし、語り部も変わります。
同単行本内で視点はコロコロ変わるし、時系列も入り乱れます。
同じ事件を別の人物から見て、その事件の違った側面を見ることもできます。
視点も構成も独特なのに、ストーリーを読み解くことができるようになっているし、なぜかとても惹かれる。
そんなシリーズでした。
異なるシリーズにの中に共通する認識が存在する上遠野浩平作品
上遠野浩平作品は、一つのシリーズを読むだけで理解できるものではないことも特徴の一つです。
ブギーポップシリーズが好きならこのシリーズだけを読めば良い、というものではないのです。
ブギーポップシリーズが好きだと、上遠野浩平先生が書いている全ての作品を読む必要があるんです。
上遠野浩平先生は、ブギーポップシリーズ以外にも様々なシリーズを、様々な出版社の本で書いています。
- 戦地調停士シリーズ(講談社ノベルス)
- ソウルドロップシリーズ(祥伝社)
- ナイトウォッチシリーズ(徳間デュアル文庫)
- しずるさんシリーズ(富士見ミステリー文庫)
- 製造人間シリーズ(ハヤカワ文庫)
など
この他にも多数のシリーズや、単発作品を書かれています。
それらが全て、ブギーポップシリーズの世界観を軸に描かれているのです。
「ブギーポップシリーズ」は現代ファンタジーです。
この中の「戦地調停士シリーズ」は異世界のお話でした。
それなのに、「ブギーポップシリーズ」で登場する作家の話が「戦地調停士シリーズ」で触れられることがあるのです。
こうなると、全ての作品を読まなければならなくなります。
今思えば、軸となっている「ブギーポップシリーズ」に惚れ込んでしまったから、上遠野浩平作品に惚れ込み、全てを網羅しようと熱心になっていたのだと思われます。
訳も分からず小説を書き始めた
私が中学生だった当時、刊行されていた上遠野浩平作品を全て読みました。
あれから20年以上経ってしまったので、あの頃の記憶は曖昧です。
ですが、読める範囲で読みつくしてしまった後に、小説を書き始めたように思われます。
「耳をすませば」のアニメを観たのも大きかったかもしれません。
自分で小説を書けばいいんだ、と気づいてから、がむしゃらに書いていました。
一つの場面を書いて止めるを繰り返していた
初めのころは、「書きたい」と思ったものを、そのままノートに書き連ねるようなことをしています。
登場人物のことも、その世界や設定、構成なんてものも知りません。
まともなオチも書けませんでした。
それどころか、最後まで書く前に小説を書くことを断念してしまう、ということばかりやっています。


場面を一つ二つを書くと止めて、他の話を書き始める、なんてこともしていました。
自分がどうして書きたいとか、何を読みたいとか、具体的なことは何も考えていませんでした。
ただ、「書きたい」だけが爆発していたような時期です。
小説の書き方をブギーポップシリーズで勉強した
そもそもどうやって小説を書いたらいいのか、小説を書くためにどのようなことを考える必要があるのかも分かりませんでした。
自分が「小説を書きたい」と思うきっかけとなった「ブギーポップは笑わない」を何度も開いて、小説の書き方を勉強しています。
勉強といっても、初歩的なものです。
- 「」はこうやって使うのか
- セリフじゃないところの文章はこうやって書くのか
- 「…」や「!」の記号はこうやって使うのか
といったことです。
当時の自分にできることは、やれる限りやっていました。
「ブギーポップは笑わない」を手でノートに書き写して、小説のリズムを学ぼうとする、なんてこともしています。
当時書いたノートはほとんど処分してしまいました。
始まりが上遠野浩平作品だったので、その影響を大きく受けたものばかり書いていたと思います。
このときはこのときで「自分の小説最高」とか思っていましたから、それを含めて、今は恥ずかしいことこの上ないです。
でも一番情熱があったのはこのころですから、出来はともかくとして、一番楽しい作品を書いていたのはこのころだと思います。
おわりに
上遠野浩平作品は、自分の中でも不思議な位置づけにあります。
あのときに「ブギーポップは笑わない」に出会っていなかったら、今もなお小説を書き続けようとする自分が存在していなかったことはたしかです。
そんな自分が想像できないくらい、「小説」が自分の軸に食い込んでいます。
もしかしたら、好きな映画や小説の傾向も、今とは全然違うものになっていたかもしれません。
当時は「自分も小説家になる」と強く考えていました。
今はあのときほどの大きな思いでこの願いを抱くことができません。
それでも「小説を書く」ことからは離れられませんし、小説を書くためにその方法や技術を学ぶこともやめられません。
憧れた作家のような物語を書くことはできなくても、自分の書きたい、読みたいと思うものを書けるようになりたい、と今は思っています。
